★日本人の戦争(ドナルド・キーン) 【抜き書き】

わたしはこの戦争を戦い抜くことを、日本の知識階級人は、大和民族として絶対に必要と感じていることを信ずることができる。わたしたちは、彼らのいわゆる「黄色民族」である。この区別された民族の優秀性を決定するために戦うのだ。ドイツの戦いとも違う。彼らの戦いは同類の間の理解の争いの趣があるが、我々の戦いはもっと宿命的な確信のための戦いと思われる。(伊藤整:41年12月9日)

「降伏というものを知らぬ日本軍を破るには、東京とその近郊を毒ガスによって壊滅させる外ない。」(ニューヨークタイムズ)これを我々大和民族は記憶しておかねばならない。なんと云うことを公然といい出すのだろう。これは歴史に書き留めておかねばならないことだ。彼らはアングロサクソン以外は人間でないとでも思っているのだ。そんなことをし始めたら、彼らの子弟は、太平洋の島々の上で、逆に毒ガスで次々と死ななければならないだろう。(伊藤整:43年12月)


すべてのものから別れていく精神ーこれはどういふものだらうか。恐らく、誰がどんなに工夫して表現しても、現在、日々発している特攻精神だけは、表現することは不可能である。ただ一人で敵の一艦を沈没せしめる、さういふことではない。死を以て的に中る。それも間違ひだ。身を以て国を救ふ、それでもない。それなら何か。

わたしはこの特攻精神を、数千年、数万年の太古から伝わってきた、もっとも純粋な世界精神の表現だと思っている。敵を滅ぼすというふがごとき、闘争の精神なら、訓練する要もない。歴史を創造する精神、といふより、むしろ、そのやうな創造を精神を支え保つ、もっとも崇高な道徳精神だと思っている。勿論、この表現も真に迫ったものではない。(横光利一

昨晩目黒で、この下町の炎の上を悠々と旋回しては、雨のように焼夷弾を撒いているB29の姿を自分は見ていた。おそらくきゃつらは、この下界に住んでいる人間を人間仲間とは認めない、小さな、黄色い猿の群とでも考えているのだろう。

勿論、戦争である。敵の無差別爆撃を、天人ともに許されざるとか何とか、野暮な恨みはのべはしない。敵としては、日本人を何万人殺戮しようとも、それはきわめて自然である。さらば、われわれも、またアメリカ人を数十万人殺戮しようとも、もとより当然以上である。(山田風太郎


愛する浅草、わたしにとって、あの不思議な魅力を持っていた浅草。山の手育ちながら、なんともいえない愛着、愛情の感じられた浅草。その浅草は一朝にして消え失せた。、再建の日はくるだろうが、昔日の俤はもうとどめないにちがいない。まるで違った浅草ができるだろう。

震災でも残った観音様が今度は焼けた。今度も大丈夫だろうと避難した人々が、本道の消失とともにずいぶんたくさん焼け死んだという。その死体らしいのが、裏手にごろごろと積み上げてあった。子どものと思える小さな、小さいながらも、すっかり大きく膨れ上がった赤むくれの死体を見たときは、胸が苦しくなった。(高見順

結局無条件降伏なのである。嘘に嘘を重ねて国民を瞞着し来たった後についに投げ出したというより他はない。国史始まって以来の悲痛な瞬間がきたり。しかも人が何となくほっと安心を感じざるをえぬということ!卑劣でしかも傲慢だった闇の行為がこれをもたらしたのである。(海野十三


車中でも歩廊でも、人々みな平静である。真に平静なのか、それとも、どうとでもなれという自棄なのか。戦争の成り行きについて多少とも絶望的なのは確かだ。ソ連の宣戦について誰一人話しているものはいない。興奮しているものはいない。慨嘆しているものはいない。憤激しているものはいない。

だが、人に聞かれる心配のない我が家のなかでは、大いに話し合っているのだろう。私たちが第一そうだ。外では話をしない。下手なことをうっかしゃべって、検挙されたりしたら大変だ。その顧慮から黙っている。全く恐怖政治だ。そういう沈黙だとすると、これでは戦いには勝てない。こういう状態に人々を追いやったのは誰だ。(高見順

敗戦は原子爆弾の出現のみによっておこされたことではない。ずっと前から負けていたのだ。原子爆弾でとどめをさされたのである。(高見順

戦争終結と知って、わたしはホッとした。これでもう恋愛小説はいけん、三角関係はいけん、姦通を書くことはまかりならぬ等々の圧制はなくなる。自由に書ける日がやがてくるだろう。だが、その悦びは、敗戦という大変な代償によって与えられたのである。今になって愕然とするのである。

戦争中の一部の日本人(軍官野の一部の)横暴非道に、日本及び日本人のだらしなさに、わたしはこんなことで勝ったら大変だ、このままで勝ったら日本も世界も闇だとしばしば思ったものだが、今敗戦という現実にぶつかっては、さようなわたしの感情を恥じねばならぬ。かかる醜悪な、ボロだらけの、いい気なものだった日本の故に日本は敗れなければならなかったのだと、しゃあしゃあとしてはおれないのである。

とにかく日本とともに、わたしも敗北の中にたたき込まれたのだ。敗戦の悲運はわたし自身のものなのである。勝てようとは考えられない。しかし今日のような惨憺たる敗戦にまで至らなくてもなんとか解決の途はあったはずなのだ。その点について、私らもまた努べきことがあったはずだ。それをしなかった。そのことを深く恥じねばならぬ。わたしは今痛烈な愛国的感情に噛まれている。(高見順

京都は残った。残ったのがむしろ癪である。アメリカが自分たちの遊覧地としてこの古都を残したのが癪である。しかし多くの人がいうように、自分たちの遊び場所としてでなく、結局はそうなるわけだが、文化の記念としてこの京都や奈良にてをつけなかったのであろう。つまりそれだけ余裕があったわけで、一層それが癪にさわる。

ソ連なら容赦なく爆撃したであろう。そしてまた、もしアメリカにこのような古都があったとしたら、日本は勿論これを壊滅させるのに何の遠慮も感じまい。少なくとも、日本の軍人は。(山田風太郎

よくもいけしゃあしゃあとこんなことがいえたものだ。そういう憤怒である。論旨を間違っていると思うのではない。全く正しい。その通りだ。だがいかにも正しいことを悲しみもなく、反省もなく、無表情に無節操にいってのけているということに無性に腹が立つのである。常に、その自棄には正しことを、へらへらといってのける。その機械性、無人格性がたまらない。

ほんの一月前は、戦争のための芸術だ、科学だ、戦争一本槍だと怒号していた同じ新聞が、口を拭ってケロリとして、芸術こそ科学こそ大切だ、などとぬかす、その恥知らずの指導面がムカムカする。バカにするなといいたいのである。さんざ干渉圧迫をして来たくせに、なんということだ。非道な干渉圧迫、謝った統制指導の故に、今日の敗戦ということになったのだ。その自己反省は棚に挙げて、またもや厚顔無恥な指導面だ。いい加減にしろ!(高見順

文学には文学本来の役割がある。弾丸と同じような役割をさせようとしても無理であると文学非力説を敢えて草した。(高見順

シナではどこにいっても必ず日本人がシナ人に威張っている場面を見かけたものだ。日本人がシナ人を殴っている場面はあどこかに必ずあったものだ。アメリカ兵は日本人を人間として尊重している。彼らがすなわち人間として尊重されているからであろう。日本人が他民族を苛めたのは、日本人自身が日本人によって苛められていたからである。人間としての権利、自由を全く認められていなかったからである。人間の尊重ということが、日本においてはなかったからである。(高見順

戦いに負け占領軍が入ってきたので、自由が束縛されたというのならわかるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥ずかしいことだろう。自国の政府が自国民の自由をーほとんどあらゆる自由を束縛していて、そうして占領軍の通達があるまで、その剥奪を解こうとしなかったとは、なんという恥ずかしいことだろうか。(高見順

青野は夜汽車に乗っていた。車中に、明らかに戦災孤児と思われる少年がいて、その身体は悪性の皮膚病に覆われていた。ほかの乗客たちは少年にひどく冷淡かつ邪険で、今にも列車から少年を放りださんばかりにしている。その時だった。闇の中から声が聞こえた。「オレはジャバから来た兵隊だあ。かわいそうなもんは、みんなで助けたらいいんでないかあ。日本人はもっと美しいものだと思っていたら、これが日本人かあ」

戦争の指導者たちの顔から仮面がむしり取られるたびに、青野の耳には、この兵隊のことばがこだました。青野もまた、日本人は「もっと美しいもんだ」と思っていた。日本人が才能に富むことは明らかだった。さもなければ、どうして飛鳥・天平までさかのぼる偉大な文化の歴史があったことを説明できるだろうか。しかし日本人のもう一つの顔は、青野に夜汽車の兵隊の「lこれが日本人かあ」というせりふを思い出させた、と青野は書いている。

高見は新聞で太平洋米軍司令部が発表した「比島における日本兵の残虐行為」という報告書の記事を読む。一読して、まことに慄然たる内容だが、高見は言う。「残虐ということをいったら焼夷弾による都市住民の大量虐殺も残虐極まりないものである。原子爆弾の残虐さはいうを待たない。しかし、戦勝国の残虐さは問題にされないで、敗戦国の残虐のみ指弾される」

権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、子羊のごとく従順、卑屈。ああ何という卑怯さだ。しかしそれも日本においては、人民の手からあらゆる権力が剥奪されていたからだ。だから権力を持たせられると、それをふるいたくなる。酷薄になる。残虐になる。逸脱するのだ。それは人民の手に権力が与えられていなかったための一種のヒステリー現象だ。可哀そうな日本人。(高見順

戦争中、われらは日本は正義の神国にて米は凶悪なる野蛮国なりと教えられたり。それを信じたるわけにはあらず、ただどうせ戦争は正気の沙汰にあらざるもの、従ってかかる毒々しき、単純なる論理の方が国民を狂気的血闘にかりたてるには好都合ならんと思いて自ら従いたるに過ぎざるのみ。

数十年後の人、本戦争において、われらがいかに狂気じみたる自尊と敵愾の教育を易々として受け入れ、また途方もなき野心を出したるを奇っ怪に思われんも、われらとしてはそれ相当の理由在りしなり。(山田風太郎

仕事こそは他のいかなるものに絶して、人がそこに真の満足を見いだす唯一の隠れ場なのだ。(セザンヌ

世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間がいち早く婦女子を集めて淫売屋をつくるというような例が。シナではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされているシナ人も、みずからシナの女性を駆り立て、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かかる恥ずかしい真似はシナ国民はしなかった。日本人だけがなし得ることではないか。(高見順

「戦争が済んだのだからもう少し安楽な生活ができるはずだ」これが今の日本人の心深く流れている虫のいい哀れな滑稽な錯誤だ。戦争は済んだのではない。敗けたのだ。我々に無関係な天空の嵐が吹き止んだのと違う。戦争をそう考えているのでは、この馬鹿げた不満はやがて天命、運命に対するあきらめの観念に落ちていくだけだろう。そういう諦念は幸福かもしれないが、一万年たっても東洋民族は奴隷的位置から逃れられぬであろう。我々は負けたのだ。誰に、敵に、アメリカに、イギリスに、ロシアに!(山田風太郎


多くの作家たちが、のちに戦時中の経験を元に回想録を書いた。しかし、彼らが後知恵の判断から自由だったか、また小説家の自然な傾向としてそのままでは文学になりにくい素材を推敲し、構成を整えることはなかったか、それはわからない。日記の方が、まだしも事実に近いようである。