可能性の寿命

青信号が点滅している横断歩道を、急いで渡ろうと走るのは一苦労だが、渡るのを諦めて立ち止まれば楽になれる。しかし、信号はいずれ再び青になるが、「可能性」は、たいていの場合、一度つかむのを諦めれば二度とよみがえることはない。

チャンスが閉じる瀬戸際に、間一髪駆け込む労力は小さくはないが、それ相応の果実があるし、あると信じることが駆け込む動機にもエネルギーにもなる。

今は駆け込む苦労はしたくないけれど、いずれその気になったときのために可能性だけはキープしておきたい。「卵子の凍結保存」技術は、そんな手前勝手な魂胆たちが需要している。

子どもが生まれ、親になるということは、人生の道すじで出会う最大級の事件だ。冬山を歩いていて雪男に出くわすようなものだ。大事件というものは、いい意味でも、わるい意味でも、人生観を根底から揺るがせ、時に崩壊させ、再構築させる作用を持つ。

そういった大事件の勃発を、人智でコントロールしようとする賢しらなふるまいや、それができると信じる傲慢な精神は、文字通り「神をも恐れぬ」ものであり、いずれその報いがきっとくる(と思いたい)。

これは理屈では説明できない自分の人生観が反射した考えであり、さらに言えば、たんなる違和感のつぶやきにすぎない。よってこの考えにはどういう意味における合理性もないのだが、

ただ自分の中で、ひたすら以下のアラームが鳴り続けていることだけは確かだ。「人間は、決してこういうことをしてはならないのだ」と。