悲しさ

人間の感情には、大きく分けて「快い」ものと「不快」なものがあると思うが、では「悲しい」という感情は、快なのか、不快なのか。

まず、「快」である、という考えかたがある。たとえば良い音楽や、優れた文学や美術作品には、多くの場合「悲しみ」が含有している。そういう「悲しい」には甘美な快感があり、快感だから、人びとはそれを求めることになる。

では、家族など大切な人が死んだときに感じる「悲しい」も快感なのだろうか。すくなくとも倫理的に快感であると言いたくないし、実際そういう分析は間違っているような気がする。

では、芸術で味わう「悲しい」と、親しい人の喪失で味わう「悲しい」は別物なのだろうか。そんなことは無いと思う。両者の「悲しい」には量の多寡はありこそすれ、質の共通性はきちんとあるように思う。

いっそこう考えてみてはどうだろう。人間の感情には、「快」と「不快」と「悲しい」の三種類があると。

「悲しい」という感情には、「快」や「不快」では割り切れない、複雑で奥深い豊かなものがあるように思う。そして、その豊かさは、多くの場合、何かを喪った時に現れる。これは、とても不思議なことではないだろうか。