敬意を添える

他者とのコミュニケーションなくして、人間は何一つ作り上げることはできない。目の前の古ぼけた雑居ビル一本にしてからが、どれほどのコミュニケーションを積み重ねた末に建っているものなのか、知れたものではない。

現代において「仕事ができる」とは「コミュニケーション能力がある」という言葉と、ほぼ同義である。

しかし、コミュニケーションの要諦はおそらく「コミュニケーションスキル」のたぐいのようなメソッドではなく、それはきっと「他者への敬意」である。

相手への敬意がないメッセージは、たとえその内容が合理的で倫理的にも正しくても真に伝わることはない。見せかけではない敬意が添えられたメッセージは、音の響きや、言葉の並ぶ姿からして違うものだ。

あらゆるコミュニケーションに愛情をこめることはほぼ無理だが、敬意なら、心がけひとつで添えることはできる。

「コミュニケーションの達人」というものがいるとすれば、それはおそらく「敬意を添える達人」なのだ。他者への純粋な敬意というものは、自信過剰や自信喪失からは決して生まれてこない。どちらも我が身のことで精一杯で、周りに心をくだくゆとりがないという意味では同断だからだ。

人間が、生涯涵養につとめるべきなのは、この他者へ敬意を払う心なのだ。

ひょっとするとこれは、自分の個人的な思いつきに過ぎないのかもしれないが、いま自分は、これを思いつくのがいかにも遅かったと悔やんでいる。