体罰と暴行の間(上)

 よく利用する地域の公営プールで、高校の水泳部らしき集団が練習をしていた。顧問の先生は三十歳前後の男の先生で、ときおり生徒を軽くビート版でこづいたりしていたが、それを見ながら、ああいうのまで体罰だと糾弾されかねない世の中になりつつあり、現場の先生たちはやりにくくて仕方がないだろうな、と同情した。

 実際のところ、一部の中学生、高校生の精神年齢は、牛馬と大差ないと認識していてさほど的外れだとも思わない。先日も、ある公営の公園で、係の人から拡声器で何度注意されてもヘラヘラしながら同じ禁止事項を繰り返す中学生がいたが、ああいう手合いは、結局、殴りつけて体で思い知らせる以外、方途がないと思う。こういった明確な悪を矯める制裁を加えるにあたっては愛情なんて不要だ。正義と道徳の怒りさえあればいい。

とはいえ、さきごろ問題になった某バスケットボール顧問のように、数十発も無抵抗の生徒を殴りつけるのは体罰というよりもはや歴とした暴行であり、懲戒免職どころか傷害罪や殺人未遂で実刑をくらってもいいぐらいのひどさであり、これは論外だ。(だからといって生徒が自殺して良いわけではないのだが、これはまた別の問題)

人間が人間に肉体的な暴力を加えるという行為には過熱性がある。体罰には、ちかごろ喧しいボーイング787ではないが「熱暴走」する陥穽が常にあるという意識は、体罰をする側が決して眠らせてはならないものだ。この理性のブレーキが壊れた人間が体罰を加える立場にいることは、はっきりと社会の害悪である。

 きれいごとめいたことを言うの許していただければ、手を下す人間は、下される人間が体に覚える以上の心の痛みを負わなくてはならない。その覚悟があるか、手を下す人間は、自分自身にそれを常に問う必要があるのだ。

とはいえ、そんな殊勝な精神性のもとで、日本の伝統的な体罰文化(?)が息づいてきたわけではもちろん無い。よく言われているように、教師や上級生による生徒や下級生へ体罰は、旧陸海軍の集団・組織文化にその源流が求められるのは間違いなく、そして、軍隊組織が体罰の巣窟であることは、洋の東西を問わない。

先日ある新聞に、「今の自衛隊には旧軍の体罰を引き継いだ形跡はないが、その悪しき文化は、代わりに学校やスポーツ界に引き継がれた」みないな趣旨の論説が載っていたが、もちろんそんなことはない。

つい二三年前にも、海上自衛隊で上官の管理下で隊員を集団暴行して死に至らしめた事件があったばかりだし、一説によると年に何十件も暴行による表ざたになった懲戒処分が生じ、国家公務員では飛びぬけて自殺者が多い組織の中に「体罰文化ががない」と考える方がどうかしている。

そして、そもそも軍隊である以上は体罰と切っも切れない因縁があるのだから。ではなぜ軍隊が体罰と因縁があるのかというと、かの組織が「死」と肉薄しているからである。

人間が自分自身の「死」という究極の生理的な恐怖心を乗り越えて、戦場に突進するには、死ぬこと以上の、別種の強烈な恐怖心の後押しがなければ、実際問題として出来ることではない。

その、「死」以上の恐怖を形づくるのが組織内の猛烈な同調圧力であり、その圧力を産み出すのは、言葉ではなく、身体への具体的な実力行使、つまりは体罰なのである。

人間が死の恐怖を克服するには、たとえば「天皇陛下のため」あるいは「国民のため」などというきれいごとではすまされない。そういった
外面が殊勝なお題目は、しょせんは抽象的にすぎ、戦場ではモノの役に立たない。

吉田満の「戦艦大和ノ最期」に、こんなシーンがある。軍隊には「欠礼」という禁忌がある。これは同じ空間に上官がいても敬礼をしない行為を指し、これを犯すと海軍では「鉄拳五発の制裁」がなされることが通常だった。

ある日、大和艦内で、少尉である吉田に欠礼をしたまま立ち去ろうとしていた少年水兵がいた。吉田は殴りつけるべきかとも考えたが、思うところがあり、体罰ではなく説諭にとどめた。一部始終を見ていた吉田の上官である大尉は、それを見咎め吉田の方を殴りつけた。

その後、大尉は吉田をこう諭したという「戦闘時、あの人はまさかこの弾雨の中を飛び出せとは言わないだろう、と部下に思われたら指揮官はおしまいだ。それでは戦争はできない。欠礼に対して、厳しく対応することも上官の役目だ。」と。

この上官の理屈が、洋の東西を問わない、軍隊における体罰重用の論理である。

スポーツ界で体罰が集団文化として浸透(横行ともいうが)しているのも、ほぼ同じ事情による。兵隊が「死」という恐怖を克服するために体罰を必要としたように、スポーツ界は「練習」という苦しみへの恐怖を克服するために、体罰を利用してきたのである。

スポーツ選手として一流の素質を持っているごく一部の人たちや、すでに戦果や成果による達成感を十分に味わっていて練習する動機づけがしっかりと出来ている人たちは、純粋に「もっとうまくなりたい、強くなりたい」という向上欲求だけで過酷な練習や体力トレーニングにも自主的に取り組んでいくだろう。

しかし、素質も乏しく成果も持たない大多数の凡人たちが「練習の苦しみ」という恐怖を目の前にして、なお、それに飛び込んでいくには、別種の動機づけがいる。その動機づけが「指導者や先輩が恐ろしい」という心理であり、その心理を形づくるのが体罰の経験の記憶に他ならない。

 ひらたく言うと、多くのスポーツ選手は、先輩や先生が怖いからこそ練習から逃れられず、その怖さの源泉が体罰だった、というわけだ。(なお、ここでいう体罰とは、直接的な肉体的暴行に限定しない。一般的に「シゴキ」とも称される、理不尽なまでの重負担の練習や鍛錬も、体罰と同じ作用をもたらす。)

なんというレベルの低い話をしているのか、と思われるだろうが、これが事実なのだから仕方がない。そして、上を目指そうとすればするほど過酷な練習が必要になるから、そこから逃げさせないために体罰が必要になっていく。

これが循環(負のスパイラルともいえる)にもなり、一般的に、スポーツの強豪校であればあるほど、生徒に加えられる体罰も熾烈なものになっていったのである。

では、体罰はスポーツの上達や成果に寄与していたのか。その答えは、「寄与していた」ともいえるし、「関係なかった」ともいえるし、逆に「弊害になっていた」ともいえる。

それは人間の動機づけにおける二方向「アメとムチ」が、それぞれ有用性と弊害性を内包していることと同断である。

長くなりすぎたので、いったんここで終わりにして、続きは、体罰の「弊害」について述べてみたいと思う。