製造の神秘

コカ・コーラや、ケンタッキーフライドチキンの製法は、特許ではなく「企業秘密」になっている。コカコーラの製法は、世界で5人ぐらいしか知らず、この5人は決して飛行機に同乗しないのだという。(いわずもがなだが、全員が死ぬとコカ・コーラがつくれなくなるから)

製法を世界で5人しか知らないにもかかわらず、あれだけ全世界で大量生産するにはどんな魔法を使っているのかとても気になるところだが、それはさておき、

コカ・コーラが自社独自の知的財産を「特許」ではなく「企業秘密」として保存している理由は、「他社に絶対に追随されない」という深い自信があるからである。それにくらべて、薬剤はどんなに開発費をかけて新薬を作っても、いずれ他の製薬会社に追随されるであろうから、その製法を特許として公開し、ロイヤリティビジネスで稼ぐことを主眼にしている。

企業秘密と特許にはそのような違いがあるのだが、共通項もある。それは、「製法が第三者に知れてしまえば容易にマネされてしまう」というところである。

それに比べて、たとえば野球のバッティングの技術は、イチローのような達人がどんなに一生懸命その製法(?)を余人に伝えようとしても、容易に伝わらないし、マネもできない。開発者にとっては、その技術詳細を秘密にしようと思ったり、権利化して稼ごうとかミミッチイことなど寸分も考えていないのに、肝腎な部分がどうしても伝わらない。

それはその技術が、論理化・数値化(流行語を遣えば「見える化」)できるような浅はかなものではなく、個人のもつ才能や意欲やもっと言ってしまえば「魂」に依拠している、ずいぶん深い部分に根を持っているからだ。

とはいえ、特許の世界でもその「電流」のようなものが不要だとは言い切れないように思う。製造技術の公開後、特許は20年で独占的排他権を失うが、医療用薬剤の分野においては、特許が切れ、自由に製造できるようになった薬剤を「ジェネリック薬」という。

ジェネリック薬は公開された製法どおりに作っているのが建て前だから、原理上新薬とまったく同じ薬に仕上がるはず、であるが、あにはからんやジェネリック薬のおいては、新薬ではまったく出なかった副作用の発現や、効き目の弱さが多数報告されており、そういった理由から「ジェネリック薬は絶対につかわない」というポリシーを持つ医師も少なくないという。

これは一体どういうことなのだろうか。「原理と実際」の齟齬なのか、「理論と技術」の乖離なのか、いろいろ現象を分析する角度はあるだろうが、これはもっと根が深い問題なような気がしている。

鋭く尖った理想と熱い欲望を持って血みどろ汗みどろになって新薬を開発した先発メーカーと、出来上がっている技術原理を易々と剽窃している後発メーカーとでは、実際の製造工程においても、その製造ラインに流れている魂の電圧が違っており、それが、副作用の発現や効き目の薄さといったかたちで表象している、と考えてみてはどうだろうか。

こういった考え方は、エモーショナルにすぎるというそしりもあるかもしれないが、少なくとも、一見、物質的、物理的に見える現象も、その内実は、関わる人間の精神性に依拠した、けっこう根が深い場合もあるのは確かだと思う。

それは、同じ素材をつかって同じ手順でつくったはずなのに、母親の味がどうしても出ないという子どもの嘆きに似ている。

ものづくりの過程においては、こういった一種の神秘性が垣間見えることがしばしばあり、また、作り手が、そういう神秘性を信じていることが、優れて緻密な製品や作品をつくり出すことにつながっている面も確かにあると思う。