既得権益

 中央線はよくトラブルで止まる。そのたびに他路線への「振り代え輸送のお知らせ」が社内アナウンスされるのだが、すぐに行動を起こすのはたいてい立っている人で、座っている人が行動を起こすのは余程時間が経ってからである。

座っている人たちはいわば既得権益者であり、現在確保している権益を放棄して新しい行動に移る踏ん切りがなかなかつかない。

人間である以上、だれしもが多かれ少なかれ既得権益を持っている。それをいさぎよく捨て去ること、あるいは、後生大事に守り抜くことが、どういう結末を招くのか、その予測をすることは難しい。

革命は、持たざる者が、持てる者(既得権益者)を打倒して成立するものだ。しかし、明治維新は、当時身分制社会の頂点にあった武士階級による政治と経済の構造改革であり、つまり持てる者の自己否定のもとになされたという意味で、他国の革命と様相が異なる、と一般的にいわれている。

しかし、人間の本性に照らし合わせて考えれば、持てる者が自分の既得権益を捨て去って環境改変を目指すなどありえない。ようするに、明治維新の主役であった下級武士階級は、当時の社会構造の中では「持たざる者」であったと見るべきではなかろうか。

粗雑な議論になるが、商人はカネを産み出す商権を握っている。農民は作物を産みだす土地を握っている。工業者には物を産みだす技術を握っている。表面上の下層階級にも堅牢な既得権益があり、本質的に何も持っていないのは、権力もカネも土地も技術もない下級武士だけであった。

そういった自分たちの無力な状況を恨んで、福沢諭吉は「門閥制度は親の仇」と表現し、貧乏旗本であった勝海舟は「日本社会はアメリカと違って上に位が高いほどボンクラだ」だと言い放った。

しかし、明治維新の場合、事情がもう少しややこしい。当時の武士は現代で言うと公務員であり、つまり仕事をロクにしなくても家柄に応じて一定のロクは支給されるという恵まれた既得権益を、下級武士にいたるまで持っていた。

では、当時の幕府側以外の多くの下級武士たちは、なぜ自分たちの既得権益をなげうつことようなことができたのか。

もちろんそれは、ペリー来航ショックに象徴される外圧から私益よりも国益に目覚めたというのが理由なのだが、それが行動にまで結びついたのは、彼らが「自分たちは既得権益者」であるという自覚がなかったからではないだろうか。 

彼らが自分たちが既得権益者だったことに遅まきながらようやく気づいたのは、それをすっかり失った後だった。

ようするに、丸裸になって、ようやく自分たちが丸裸にされたことに気がついたのである。

江藤新平が起こした佐賀の乱や、西郷隆盛がかつがれた西南戦争は、ようやく気づいた自らがかつて持っていた既得権益を取り戻すための、遅すぎた反抗でもだった。

つまり、明治維新を先導し、下支えした下級武士階級は、自分たちを「持たざる者」だと考えていたが、世が変わってみるとじつは「持てる者」だった、ことに気づいたというわけである。

人間である以上だれでも多かれ少なかれ既得権益を持っている。それを持っているのか持っていないのか自覚するのは難しいし、自覚していても、それがどういう価値があるのかは失ってみないとわからないのだろう。それは満員電車で座っている人が、立っている人の心境を想像してみるほどたやすいことではない。