恒心

 図書館や市役所のような公的な施設に行くと、公務員一筋といった風情の中高年たちがのんびりを仕事をしているのが目につく。

今のような厳しい社会情勢下では、彼らは例外的な特権階級視され、羨望のまなざしで見られがちだが、日本の来し方をかえりみれば、こういった人たちは なにも珍しい存在ではないことに気づく。

 実は、今のような、多くの人たちが明日をも知れぬ不安定さに脅かされ続けている時代こそが、(戦争中の一時期を除けば)きわめて例外的なのである。

 日本人の恒心の基礎となっていたのは、近代までは農業(中心は稲作)であり、現代では大企業(中心は製造業)だった。終戦を境に前者は衰退し、戦後後者が入れ替わるのだが、後者の存在感も2000年代に入ってからたちまちのうちに怪しくなって今に至る。

 近代まで、農業が恒心の基礎になっていた理由は、米というものはよほどひどい天候不順でもない限り、毎年ほぼ見込み通りの生産をあげる安定した作物、つまりは「恒産」そのものだったからだ。

少々乱暴にいうと、農村が忙しい時期は、春の田植えと秋の収穫の時期だけで、それ以外の時期は村落政治やお祭りに明け暮れる、気楽な生活が保証されていた。

 江戸時代までさかのぼると、その収穫を年貢として取り上げ、子々孫々無為徒食するだけの武士階級すらも存在していた。江戸時代では、商人、職人、漁師などの技能労働者を除くほぼすべての日本人が、稲作という恒産の上での生活に安んじていた。

 日本の平地という平地を占拠していた田畑は、巨大な雇用の受け皿でもあった。青雲の志を抱いて都会に出て、たとえ一敗地にまみれようとも、Uターンをあたたかく迎えてくれる雇用と心の拠り所になっていた。その存在は果敢な起業への後押しにもなり、それが、維新以来の国是であった「殖産興業」を下支えしていた。

 終戦後の農地解放と減反政策により、農業と農村は衰退した。その後、代役に立ったのが「大企業」である。

 大企業はその正社員の恒心の基礎になっていただけではなく、傘下にある下請けの中小企業や、フリーランスの技能者、芸術家や芸能人やスポーツ選手、株主、工場やオフィス周辺の飲食店や商業施設、納税先の国や地方自治体にいたるまで、膨大なステークホルダーたちの恒心を一手に支えるようになった。

 なんら生産的な行為ができない学生たちが、ヘルメットをかぶり、ゲバ棒を振り回して革命ごっこに興じることができたのも、大企業が親を通じて間接的にかれらの衣食を支えていたからであった。

大資本に対する階級闘争を挑んでいた彼らが、その実、その活動の実質的支援を大企業から得ていたのは、歴史の皮肉というか無知の間抜けというか・・それはさておき、

 こういった大企業群が国民にもたらした恒産は「報酬」である。それは多くの場合「給料(月給と賞与)」という形を採って、人々の恒心を支えた。

 つまり、戦前までは田んぼがもたらす「米」、戦後は大企業がもたらす「給料」という恒産が、人々の恒心を支えていた。

 米がよほどひどい天候不順に直面でもしない限り、特別の努力も要らずに毎年豊かな実りを人々にもたらしたように、大企業も、よほどひどい無能や怠惰や疾患でもない限り、毎月の生活を維持し、ささやかな楽しみを享受するに足りる給料を、直接・間接に、会社内・外の人々にもたらしつづけた。

そして現代。二千年近く続いた稲作神話は崩壊し、代役として登場した大企業神話も、「まさか」と思うような巨大企業の倒産や凋落で崩壊した。

では、次に、日本人に恒産をもたらし恒心を支えてくれる存在は何だろうか?悲しいかな、自分にはそれが何も思い浮かばない。期待の地下資源も、今のところ海のものとも山のものともつかないし。

社会保障の充実がそれに当たる」なんて大まじめに考えている人がいたら、票がほしいだけの政治家か、旧弊な左翼か、頭がどうかしている人のいずれかだろう。

ひょっとするとこれからの日本人は、恒心などというありがたいものは二度と持つことができないのかもしれない。

・・これが、ここまで書いてきてたどり着いた結論だが、悲観的に過ぎるだろうか。