タイの女性首相


東南アジアを訪問している安部首相が、タイの首相と写真におさまっているのを見て、「そういえば、タイは女性が首相だったんだな」と思い出した。先頃、韓国でも女性が大統領になったし、これからは女性が指導的地位に立つ、国や企業がますます増えていくのだろう。

これまで指導者といえば圧倒的に男が多かったのわけは、統治能力が男性の方が長けていたから、ではなく、ぜんぜん別の理由に拠る。

それは、拍子抜けするほど単純なもので、単に筋力と骨が男性の方が女性より強かった、ということにすぎない。

筋肉と骨の強靱さは、他国や他民族と戦争をするときや、巨木を切り倒したり荒れ野を開墾するときや、狩りの時に弓を引くのに必要で、こういう時は「おんな子どもはものの役に立たない」。だから男の方が女より威張っていていいんだ、ということになった。

この論理は、山中で女系社会を構成している一部少数民族等をのぞき、ほぼ世界共通の、社会における「男性優位」が生じた。

さらに、女性には出産とそれに付随する子育てという役割があったから、いきおい家庭に閉じこもりがちになり、政治という社会的な権力調整の世界に首を突っ込むいとまも与えられていなかったのである。長々と書いてきたが、まとめると、

①男は筋力と骨の力が強い
②女には出産とそれに付随する子育てという役割があった

・・・という、きわめて肉体的・生物的なたった二つの理由で、社会において男が優位に立ったのである。これは明確なことだと思うが、世間を見回すと、あまり明確なことでもないらしい。

よく見聞きする論調に、「女性は論理的思考が苦手で感情に流されやすいので、峻厳な政治的判断をする能力に欠ける。だから指導者的地位に立つことができなかったのだ」というものがあるが、

論理的思考が苦手ですぐ感情に流されることにおいて男性も決して人後に落ちる(?)ものではないし、峻厳な政治的判断ができない男の方が、できる男より圧倒的に多い。そのことは、現代日本のあきれた政局模様や、上司・同僚・後輩男子たちの日ごろの振る舞いを観察していればすぐにわかるし、何よりも、自分自身の内面生活を省みれば一目瞭然である。

「女性の方がよほど論理的で冷静だ」とまでいうつもりはないが、このあたりの資質や能力は、要は個人差であり、性差ではない。

ただ、女性は、有史以来、家庭内で男性(夫と息子)を支配し、表面上は両者を立てつつ裏ではいいように操ってきた。つまりすでに裏(家庭)において強大な実権を握っているのだから、せめて表(社会)では、もう少しのあいだ男を空いばりさせておいて(くれて)もいいのではないか、という気もするが、それはさておき、

これからは、家庭においても社会においても実権を失った男たちが、惨めだが気楽な人生を、悲しんだり謳歌したりするさまが、いたるところで見られるようになることは、ほぼ確実なように思われる。