恐怖の報酬

 リーダーや指導者という立場の人に、もっとも必要なものは何だろうか。いろいろ理屈や視点はあるのだろうが、自分は、とどのつまりは、下の人たち、つまり部下や生徒や弟子などに対する「情」だと思う。

人間は、自分に情をかけてくれる人には、その期待や要望にあらんかぎりの力を絞って応えたくなるものだ。そして、情を感ずることが深ければ深いほど、注力するエネルギーは天井知らずになっていき、おのずと成果も生まれてくる。これは理想論ではない。人性に密着したリアリズムだ。

リーダーが情に薄いか、情を出す方向が見当違いで、うまい具合に配下のエネルギーを呼び起こすことができなければ、指導やマネジメントはテクニックに頼らざるを得なくなり、それも通用しないようだと、次は圧迫や強制が持ち出すようになり、しまいには恐怖で縛って操るしか方途がなくなる。

自分が及ぼす恐怖によって他者が右や左に動くのを眺めるのは楽しいもののようだ。これが権力者の愉悦であるが、恐怖で動かされてきた側は、そこから解放されるや否や、それを及ぼした対象を憎むようになる。

この反作用はある意味力学的当然であり、権力者がその座から自力で降りられなくなるのは、この憎悪からの復讐を恐れるからだ。

人を恐怖で苦しめた者は、人からの恐怖で苦しむようになる。この因果律の発現は、時代や場所を選ばない。

その座にいる時は圧迫と恐怖による他者制御に惑溺しつつ、その座から降りたときは歓呼と感謝の声で受け容れられたい。権力者の願望は斯様に虫のいいもので、これはいつの時代でも変わらない。

しかし、その願望が首尾よくかなえられることはほぼ無く、それは、多くの絶対権力者たちの悲惨な末路が証明している。