マンションについての私見

 大手デベロッパーの社員はインテリヤクザそのもの。これはもともとそういう人間が吹きだまった業界というよりも、業界の悪すぎる空気に害された結果と観た方が当っている。仕事で彼らの本性と接触する時期を持ったおかげで自分はマンションは借りるもので買うものではないと肝に銘じることが出来た。

彼らから見れば、大手ゼネコンも著名設計士も有名インテリアデザイナーも出入り業者、あるいは下請けであることに変わりはないし、広告や印刷会社に至っては虫ケラそのもで、いくら買いたたいても仕事欲しさにすり寄ってくるとタカをくくっているし、いくらどやしつけても構わないと思っている。「どうせろくな学校も出ていない下流のやつら」だから。

「三井や住友だから間違いはないはずだ」という価値観は思考停止、いうなれば「居つき」の状態であり、隙をつかれて滅ぼされる危険がある。確かに、「全棟建て直し」なんて大上段からの事態収拾は、財閥のバックがあればこその力技だが、だからといって「三井でよかった」なんて思うバカもいない。

とはいえ「三井や住友じゃなければ大丈夫だ」なんてことは猶更いえない。三井や住友はヤクザだがそれ以外はチンピラで、ともにシノギのために業者をぶっ叩いて泣き寝入りさせている無法者であることにおいては同段なのだから。

ようするに不動産業界、とくにマンション業界とは、メーカーも卸・販社もこぞってヤクザであるとデフォルトで決めつけていた方が身の安全のためである。

「住宅ローンを組む」ということは、ヤクザと金貸しに、虎の子の貯金と日々の勤労の報酬を上納していることに他ならない。「夢のマイホーム」「生涯最大の買い物」「男の甲斐性」といった陳腐、空辣なプロパガンダに踊らされた健気な堅気のひとたちが、社会に巣食うアウトローを総出で養ってあげている構図は、どこから眺めても合理性はない。

「マンションや持家は資産である」という考え方があるが、その持ち物が本質的に財産であったか負債であったかは、それを売却したときにはじめて露呈される気味あいのものだ。

過去の自分の選択が、賢明だったのか、愚昧だったのかを、白日のもとにさらされるのは誰でも避けたいもので、多くの人は今自分が住んでいるのを資産だと思い込もうとして、含み損に気づいても、見て見ぬふりをしてやり過ごしている。

株でも「損切り」のタイミングを誤れば損失が雪だるま式に増えるように、現実は厳しければ厳しいほど、はやく把握するのに如くはない。

「持ち家と賃貸は、金銭的にどちらがトクか」という問題の出し方は、「投資と貯金はどちらがトクか」という議論に似、問題の出し方が抽象的で粗雑過ぎて回答のしようがない。

問題になのは具体的に「何を買うか」であって、「買う」という抽象的な行為そのものにはない。不動産でも株でも、将来価値が高いものを買えば、結果的にトクだったということになるし、逆ならばソンになる。

不動産購入の賢愚は、売却時に以下の検証を行うことによって検証される。

売却までにそれにつぎ込んだお金(頭金・ローンの支払い総計・税金・管理費や修繕積立金・共益費など)の累計から、売却した金額をマイナスしそれを住んでいた月数で割った数字と、そのマンションと同程度のレベルの部屋(間取り・広さ・設備・エリア)を賃貸で借りたときの家賃の相場と比べる。

前者が「割安」と出ればマンション購入はトクだったということになるし、「割高」と出ればソンだった、ということになる。

「持ち家VS賃貸」のいずれがトクかの議論は、ひとまず金銭面においては、個別差が大きすぎて一般論としては語れないということになる。

都心で売却時に「トク」と出そうな優良物件は一般人には手が出ない値で売られているのが通常であるし、人口減でいずれ日本中で空き部屋があふれかえり、それが家賃相場の暴落に結びつくのも、多少のタイムラグがあるにせよ時間の問題であり、そういう事情を考えると賃貸の方に一定の理があるとも考えられる。
 
では「リスク」はどうだろうか。賃貸のリスクは、年老いたり病気になって無収入になった時に住む場所がなくなるところにあるが、稼ぐ力を喪失しローンが払えなくなれば早晩追い出されるのは持ち家も同じだし、ローンを支払い終わっても管理費や固定資産税の支払い義務は残る。

管理費や修繕積立金や固定資産税なんて、マンション総体にかかる費用から見れば端数みたいなものだとタカをくくるのは誤りだ。高級マンションにおけるそれらの金額は、通常マンションの家賃並みに達することもある。

先述したように、空家だらけになるこれからの日本において、家賃はいずれ軒並み暴落をまぬがれないのだから、未来にどんなにひどい金銭的状況に追い込まれても、借金さえなければ、雨露をしのぐ場所ぐらいは確保できるはずだ。

なお、現在、空き家が激増してるのに家賃相場がさほど下がっていないのは、ある種の価格カルテル意識を家主間で共有しているゆえであると思うが、こういった実態を反映しない空洞化した価格相場は、追いつめられ、背に腹は代えられなくなった誰かの「抜け駆け」を契機に、いずれなだれをうったように破壊されるものと思われる。

持ち家は前後左右両隣に誰が引っ越してくるかわからないし、平時はともかく修羅場になったときの住民どうしのつきあいや折衝の神経の摩耗度は想像を絶するものがあり、権利関係の複雑さも容易ならざるものがあるだろう。

金銭的にトクであるかソンであるかは微妙で、リスク的には明確に購入の方が高いとなれば、ふつうに考えれば賃貸の方に分があると、ひとまずはいえるのではないだろうか。


ただ、こういう問題は、「損得」を超えた何か確かにがある。それは価値観であり、大げさにいうと人生への哲学でもある。

そしてフェアな立場を装って実は不動産業界の回し者であるあやしげなコンサルが「購入のおすすめ」の最後の拠りどころにしているのが、実はこの「個人の価値観」や「幸せな家族の時間」や「精神の充足」という代物であることには注意を要する。