花火

 
 不特定多数の観衆に向けて無償で提供されるエンターテイメントといえば、火事や交通事故などのアクシデントを除けば「花火」しかない。

花火は、それを視認できる条件下にある人なら誰でもそれを観賞することができ、主催者は観衆から木戸銭をとることはないので、その遂行目的はひたすらな「公共への奉仕」ということになる。

つまり、公共への奉仕を志向する人々がいない社会においては、花火が打ち上がることはない。

花火が打ち上がる風景が美しいのは、ただ美観上の理由だけではなく、その目的に私心が無いことにも拠る。

隅田川の花火は江戸時代以来の伝統があるらしいが、これはかの時代の人々の社会感性の中にも確かな無私が息づいていたことを証明している。

ちなみに、自分的には夜空のカンバスにあざやかな大輪の花を咲かせる打ち上げ花火もいいが、どちらかというと線香花火の方が好もしく感じる。

小さな火の玉が果実のように徐々に成熟していき、チリチリと静かな音を立てながら細かい無数の線を辺りに放射しはじめたかと思うと忽ちそれは途絶え、しばらくすると火の玉も地面に落ちてすべてが終わる。

陳腐な言いざまにはなるが、これって一個の人生そのものではなかろうか。


(なお、写真は隅田川の花火ではありません。)