2018_05_20 まんパク



 昭和記念公園で開催中の「まんパク」をスケッチする。

 「まんパク」は安くない入場料を払う飲食イベントだが、毎年大変な盛況である。基本的には、生活苦に直面しておらず消化器系の疾病も持たず食欲旺盛な健康体の祝福すべき人たちの集い、に見える。

この平和な風景をみて「なんだかんだ言って、みんなそこそこ幸福だ」と合点することもできようが、それは満員電車にもみくちゃになりながら「日本の人口減など嘘だ!」と叫ぶのに似ている、かもしれない。

人間の中には、部分から全体を早合点する愚かさと、細部から全体に通底する本質を見抜く賢さが同居している。

人間の知性の働きには、大別して、個別性の判定<違いがわかること>と、普遍性の集約<同じものとみなすこと>の二種類ある。この働きが不調だと、「ミゾもクソも一緒」にしたり、「目クソ鼻クソを笑う」ことになる。

しかし、おおよそ人間は、自分の乏しい人生経験から人生観を形作るしか方途がないから、その人生の始めから終わりまで、クソをミソと勘違いして果てしなく追い求めたり、目クソなのに鼻クソを堂々と糾弾してばかりいるのが、通り相場ではある。

歴史には個別性と普遍性が錯綜している。一度起きた交通事故は二度と起きないし、事件の犠牲者は生き返ることはない。しかし、似たような状況の事故は繰り返される可能性があるし、犠牲者に近い気質や容貌の人はまた生まれてくるかもしれない。

おそらく来年もこのイベントは開催されるだろう。しかし、来年の出展者や来訪者の顔ぶれや、売り上げが今年とまったく同じになることがあり得ないように、自分が来年も同じ場所に座ってこの視から絵を描いたとしても、まったく同じ作品に仕上がることはあり得ない。考えてみれば、絵を描くことも一種の「イベント」であり、繰り返しがあるようで無いところが、不安でもあり、愉しみでもある。