天地の美

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富士山

 ダーウィンの進化論は模式的でわかりやすい。ゆえに世に広く喧伝されるようになったが、個人的には今西錦司の棲み分け理論の方が思考に滋味ががあり魅力的に感じる。でも、「棲み分け」は、今はあまり評判がよろしくないらしい。

科学理論でも、流行り廃りがあり、その毀誉褒貶が真実や真理に近づく道程なのか、迷妄に陥る悪路なのか、それを辿っている間は誰も知ることができない。ただ、その道の路傍が、汚濁とトラップに満ちているのか、清澄な小川や可憐な草花に溢れているのかは、知ることができる。

要は、その説くところに「美しさ」があるかどうか、である。ここで大変重要になるのが、美的感受性というとても厄介な、きわめて正体不明な代物だ。

美的感受性とは、「正しさ」つまり、真なるもの、善なるものに繋がる唯一の道だ。これがないと、目前の「利」に負け、偽なるもの、悪なるものに垂直に転落する。

荘子に「天地大美ありて言わず、四時[四季]は明法ありて議せず、万物は成理あるも説かず、聖人は天地の美にもとづきて、万物の理に達す」という言葉がある。

荘子は、「理は美から導かれる」と述べているのであり、もっといえば、美的感受性のない人は物事の理(道理・真理)を知ることができない、と言っている。

湯川秀樹氏はこの言葉を好んだ。それは、理を極めるには美への鋭い感受性が必要なことを痛感していたからである。