緩みと腐り

 元日産CEOのゴーン氏が、身柄拘束される前に録画したビデオを見た。この事件が発覚した当初は、自分は、かつての配下にゴーン氏は謀略によってはめられた、という印象をもっていたが、昨今の報道を見る限り、どう法的な瑕疵があるのか自分には判然としないが、ゴーン氏に公私の境目に関するかなりの緩みがあったことはほぼ間違いないと思う。

権力は長期間放置すると腐る。このセオリーは政治だけでなく、会社経営にも通用する。だから、大抵の組織には、明文化されているにせよ、不文律にせよ、トップの任期が定められている。しかし、当のトップ本人には、自分が今その地位にいるのは自らの能力と貢献度から省みるに当たり前のことで、自分さえ望めば、自分は永久にこの地位に君臨することも、自己や家族への利益誘導も、当然の権利である、とその深浅があるにせよ、どこかで思い込んでいるのかもしれない。

それにしても、このゴーン氏の意気軒昂振りは、イラク戦争で捕縛され裁判で熱弁を振るったかつてのサダム・フセインを彷彿させる。フセインの場合は主な咎である「911への関与」や「大量破壊兵器の隠匿」は冤罪だったが、今さら後には引けない多国籍軍によって、代わりに「人道に関する罪」というなんだかよく分からない罪状をでっち上げられて、絞首台の露と消えたが、ゴーン氏の場合も、事件的には嫌疑不十分、つまり法的には冤罪のまま、社会的に抹殺される成り行きになるのかもしれない。

フセインと同じく、長期間の権力把握による「緩み」と「傲慢」という道義的理由によって。そして、そのシナリオを描いたのは、ゴーン失脚劇でもっともトクをした人たちであることは間違いないだろう。