左手で弾く少女

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頭の才覚ではなく、優れた技術をもつ人間は美しい。さらに、修練の末に体得したその技術が、伝統や文化に深く根差していればいるほど、その美しさは深いものになる。

音楽は、耳で聴く音もさることながら、目で視る演奏者の姿にも、美しさがある。この絵は、左手で演奏するピアノ曲のコンクールで入賞したある女子高生の後ろ姿と指のシルエットがあまりにきれいだったので、写してみたものだ。

この女性は、右手が、クラシックの演奏家の100人に一人が罹るといわれる「局所性ジストニア」になり、思うような演奏ができなくなって、以後、左手だけで演奏できる曲に取り組んでいる。

以前新聞に、ジストニアに罹った有名ギタリストの記事が載っていて、この人の場合は、悩みに悩んだ末に、脳の手術を受け、厳しいリハビリの末にステージに復帰したということだったが、以前のような演奏ができるまでには回復はしていないようだ。

人間が、衆人環視の中で、決まったタイミングで、決まった場所を、決まった速度や決まった強さで指を操作するプレシャーは、本人の自覚があろうがなかろうが、相当なものなのだろう。ジストニアは、その蓄積したストレスに心が耐えきれずに悲鳴を上げた症状のように、自分には思われる。

症状は肉体に出るのだから、肉体の司令塔である「脳」をいじる治療設計は、一見合理的、あるいは効率的にも見えるが、この極めて近代合理主義的な対症療法は、何か重要なものを置き去りにしているような気がする。

簡単にいえば、ジストニアは心の悲鳴が表出した症状なのだから、根治するは心にアプローチする以外にないだろう、ということだ。脳という繊細な臓器に、外科的な細工をすることは、恐ろしい上に、見当違いでもあろう。