文化財修復師

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 晩年のゲーテの秘書のような仕事をし、ゲーテの死後、その発言録を著したエッケルマンという人がいる。その人は、日々大量に降り注がれたゲーテの言葉シャワーを手のひらで受け止めたぐらいの量しか書けていない、と述懐しているが、この言葉は、歴史という広大な海が満々と湛えたすぐれたテキストのほんの一部をすくっただけで生涯を追える、人間の普遍的な現実も象徴している。

生きている時間に限りがある以上、読める言葉の量にも限りがあるのだが、自分が縁あって接した本や雑誌の言葉の片言隻句も無駄にしたくなくて、といえば聞こえはいいが、ある意味、一種のいじましさから、自分は読んだ本の興味を覚えた部分をマーキングして、時間を見てテキスト化する作業に取り組んできて数年経つのだが、なんだか、そんなことをしていてもあまり意味がないような気が最近するようになった。

言葉は一端頭脳に記憶し、順次精神に溶け込ましてこそ価値があるもので、昆虫採集のように自分の外部に整理して標本化したところで、虚しいような気がしてきた。

ここでいう「意味」とは、就職試験の援けになるとか、仕事の役に立つとか、外部に披露して得意になれるとか、金儲けができる、といったたぐいことではなく、自分の精神を豊かにし、心を愉しませ、他者との語りの場でくべる燃料になったり、精神危機や肉体の衰えや、社会的難所から脱出する力になる、というたぐいのことである。

知識人といえば、大量の蔵書を抱えていることが一つの条件になっているようなきらいがある。知識人のポートレートはその書架を背景にしているケースが多いのは、この人はその書架に並べてある夥しい蔵書を全て読んでいるほどの知識がある、ということを仄めかしているのだろう。

けれども、本物の碩学とは、基軸になるテキストやコンテキストが何もかもが頭に入っており、適宜検索によって出し入れ可能な状態にある人であって、蔵書の数はあまり関係はない。

人間が自分の外部にある情報を振り回して事足れるようになったのは、さかのぼると「文字」の発明からである。文字という客観的な存在が生れたことによって、情報は人間の外部に置くことが可能になり、さらには物のように受渡しも容易になった。

文字が成立するそれ以前は、当然ながら情報はすべて口頭のみを媒介にしてきた。つまり情報は、すべて人間の頭の中に在ったのである。

情報が外部にあるのと、内部にあるのとでは大変な違いである。人間が気魂を込めて他者に語ることができるのは、自分が真に「知っている」情報だけである。

 本居宣長は、古事記源氏物語といった書物、文字を媒介にして対峙した。彼自身文字を通して古事記源氏物語も知ったのだから、その効用は十分認めつつ、その実、文字の価値については懐疑的であった。人間は、文字によって多大な恩恵を得ているが、その恩恵に甘え、依存することによって、記憶力や再生力、あるいはそれを素材にした創造力を衰えさせたのではないか、という指摘をしている。

古事記は、文字を熟知するインテリである太安万侶が記録し編集したとされているが、テキストは稗田阿礼なる人物の口伝である。

稗田阿礼は既に老人だったが、膨大な情報量をそらで語ったという。歴史は稗田阿礼の記憶力と再生力を讃えるが、文字を知らないという条件が、如何に人間の情報蓄積力と再生力に貢献するかは、もう少し考え込んでも良いテーマかもしれない。

文字を知らない稗田阿礼は、見聞きした伝承を記憶しているうちに、その歴史が自分自身の歴史になっており、その自己と一体化した歴史を太安万侶の前でまるで自分の人生を回顧するように語ったことだろう。

日経新聞に「私の履歴書」という一か月続く連載コラムがあるが、あれを読んでだれも「よくあんなに記憶しているな」などとは思わない。自分の人生で体験したことだから、あれぐらいの量は、覚えていて当然だからである。おそらく稗田阿礼も、マインドセットとしては、似たような状態だったのではないだろうか。繰り返しになるが、彼が古事記のもとになるテキストをそらで語ることができたのは、それが自分の過去を語ることと彼にとってはほぼおなじだったからである。